日記帳

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西林寺 親鸞聖人降誕会 – お誕生のつどい –

2018年5月21日(月)は、浄土真宗の宗祖 親鸞聖人のお誕生日でした。
西林寺婦人会では、毎年の恒例行事として行っています。

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親鸞聖人 – 宗祖降誕会(ごうたんえ) –

親鸞聖人は、承安3年(1173)5月21日、京都の日野の里でお生まれになりました。
本願寺では明治7年(1875)より、この日を「降誕会(ごうたんえ)」と名づけ、
ご本山である西本願寺を始め、一般寺院においても大なり小なり、
親鸞聖人のご誕生をお祝いする法要や行事が行われます。

・・・余談ではありますが、浄土真宗本願寺派の宗門校である龍谷大学では、
毎年この「降誕会」をお祝いするため、龍谷大学吹奏楽部の先導により、
円山公園音楽堂を出発し、八坂神社〜四条通〜四条河原町〜河原町通〜京都市役所と、
京都の主要道路が一部通行止めとなって大きなパレードが行われています。

各部活動に所属している学生は、現在でも全員参加でパレードにでています。
…ちなみに私も剣道部でしたので、在学中は毎年このパレードに出ていたものです。

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親鸞聖人のご生涯

親鸞聖人の父は藤原家の流れをくむ日野有範、母は吉光女と伝わっていますー

幼くしてご両親を亡くされ、わずか9歳で出家得度された後、
二十年間にわたって比叡山で仏道修行を積まれました。

しかし、厳しい修行を積めば積むほど、自己のあさましい姿に気づき、悩まれ、
ついには29歳の時、比叡山を下りて吉水の法然上人のもとを訪ね、その門弟となりました。

そこで「阿弥陀如来のご本願」に出遇われ、
その救いを信じて生きる「念仏の道」に入られます。

その後、1207年念仏弾圧によって越後に流罪になられた後、
その土地で恵信尼さまと結ばれたといわれています。

42歳の時、越後をあとに関東へ移られ、
20年間にわたって常陸(茨城県)を中心に念仏を広められる傍ら、『教行信証』を著されます。

この『教行信証』著述の年である1224年を、
「真宗教団成立」とする立教開宗の年と定められました。
(※あと5年後には立教開宗800年となります。)

そうして62,3歳の頃、京都へ戻られて数多くの書物をご執筆になり、
弘長2年11月28日(新暦1263年1月16日)、
親鸞聖人は90歳で往生されたのでしたー

『降誕会』(ごうたんえ)はその聖人のご誕生をお祝いし、
その「み教え」との出遇いに感謝するご縁ですー

西林寺  親鸞聖人お誕生のつどい

am11:00−
西林寺仏教婦人会の皆さんで正信念仏偈をおつとめした後、ご法話をいただきます

今回は、西林寺に初めてお越しいただいた、糸島より玉栄寺ご住職、中島 至師。
福岡を中心に大変ご活躍されていらっしゃる布教使さんです。

親鸞聖人のお誕生のご縁から、
阿弥陀さまの教えにこの私が出遇い、
今まで見えてこなかった視点、物事がみえてくるー

今まで気づかなかったことに、
気づかせていただくお話をいただきました。

中島先生のおはなしをきかせていただきながら、ある先生が言われた、

『「凡夫だから何してもいい」という開き直りは真宗ではありません。
“ 自己内省 “していくのが真宗です』という言葉がふと浮んできました。

中島先生は、いのちをいただくということを例に挙げながら、
『 心の中でいつも(いのちいただくことに)葛藤する自分でいたいなぁ 』という言葉が大変印象的でした。

ご法話も楽しく、わかりやすく、有り難い、あっという間の40分でした。

pm0:30−
本堂にてお誕生をお祝いする宴会。

 

楽しくしゃべって、終盤には、仏教賛歌や誰もが知っている童謡をみんなで唱和し、
最後は西林寺の恒例、住職の『涙を拭いて』にのせ、炭坑節を踊ります(笑)

 



今年も婦人会の皆さんと一緒に、楽しく降誕会をお迎えすることができました。