2016年5月6日(金)〜8日(日)まで、
西林寺『永代経法要』のご縁でした。
ご講師は、糸島の海徳寺前住職 松月博宣師。
『永代経』とは、
『お寺が永代に存続し、み教えが大切に受け継がれるようにー』
という願いが込められています。
そして、仏さまのお話を聴くような私ではなかった、
手を合わせるような私ではなかった、この私がー
亡き方、ご先祖方を通して仏縁に出遇わさせていただいたー
そのご縁を、ご先祖方に御礼を申し上げる法要。
つまり、お念仏のみ教えを伝えてくださったご先祖の遺徳、亡き人を偲びつつ、
この「私自身」が仏さまのお話を聞かせていただく法要です。
初日の先生のご法話の中で印象深いお話しがありましたー
最近、『法事の現場に「子」や「孫」の姿が消えた』とー
確かにご法事へ行きますと、「子どもがうるさいので、ご迷惑になるので」と、
お子さん・お孫さんは別室へ。おじいちゃんおばあちゃん、大人だけでご法事、
ということも確かに多いです。
この流れに先生は、
『ここでお子さんやお孫さんがご法事を経験していなければ、
経験していないものは大人になってからも「まずしない」』、と。
家族葬や”内々”のご法事が多くなっている現代にあって、
敢えてお子さん、お孫さん、ご親戚方にもご法事に参画してもらうことは、
そのご家庭で「仏法を聴いていくご縁がつながっていく」ということです。
ご法事は家族皆さんで務められることが、
それぞれのお家の「永代経法要」ということでもありますね。
今年は私自身、いつになく先生のご法話が心にスーッと入ってきました。
先生はご法話の中で、
『エレベーターのように上の階へ上がれば上がるほど、
今まで見えてこなかったものが見えてくる。
歳を重ねることは、視野が広がっていくと言うこと。
40歳の時、わからなかった事、気づかなかった事がわかるようになった。
歳をとることは、失うものも多い。
しかし、自らの成長を感じることができるー』と。
私は20代、30代の時わからなかったものが、
今回40にして初めて腑に落ちる事、理解できることなど、
この三日間の法要でたくさんの気づきがありました。
・・・この「私自身」が仏縁に出遭っていく「永代経法要」。
自分自身にとっても本当に有り難いご縁でした。