日記帳

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人間万事塞翁が馬。

今日、お通夜にお参りさせていただいた方は、
福岡を代表する企業の創業者の方でした。

その方は、『人間万事塞翁が馬』いう言葉を常々仰っておられたそうです。

『 人間万事塞翁が馬』とはー

人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)』は、
二千年以上も前に書かれた中国の故事成語です。

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む老人(塞翁)の馬が逃げ、
人々が気の毒がると、老人は『そのうちに福が来る』と言いました。
やがて、その馬は駿馬を連れて帰ってきました。
人々が祝うと、今度は『これは不幸の元になるだろう』と言いました。
するとこの馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまいました。
人々がそれを見舞うと、老人は『これが幸福の基になるだろう』と言いました。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり、
若者たちのほとんどが戦死しました。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、
戦死しなくて済んだ、という故事に基づきます。

[ 出典:『淮南子』より ]

人生における幸福や不幸は表裏一体で予測できないという意味です。
幸が不幸に転じることもあれば、逆に不幸から幸になることもある。
安易に一喜一憂、振り回されてはならない、ということ。

…つまりは、ありのままを受け入れていく
まさに仏教の教えそのものですね。

この言葉を聞いたとき、そう思うと同時に、
今のコロナ禍だからこそ味わいたい言葉だと思いました。

災いはいつも突然にやってきます。

そんな時、「どうしてこんな不幸な目に遭うのだろう、、」
と、ついつい憂(うれ)いてしまうものです。
しかし、いくら憂いても、それは何の根本的な解決にもなりません。

大事なことは、
おかれた状況に目を背けるのではなく、正面から向き合っていく事ー

ありのままを受け入れて、真正面から向き合う事で、
この置かれた状況の中で何ができるのか?を考えることが大切なのです。

諸行無常、諸法無我。

諸行無常とは、如何なるものも、何時までもそのままというものは一つもない。
諸法無我とは、私の思うようになるものは一つもない、ということです。

あらゆる存在や現象を成り立たせている法則であり、
人間の善し悪しの都合を越えた事実。

目の前の事象に一喜一憂せず、ありのままを受け入れていくー
まさに仏教のみ教えそのものだな、、と、
亡き方を通して学ばせていただいた一日でした。