日記帳

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吉塚御堂のお釈迦さま 開眼法要 ②

am 10:00、開眼行列、開始。

2021年3月13日(土)朝10時、雅楽の音色とともに開眼行列が始まりました。

雅楽を奏でる真宗僧侶、御来賓、商店街関係者、西林寺住職、福岡市仏教会会長、ミャンマー僧侶、そして各国の衣装に身を包んだ外国人の皆さんで、総勢70名による開眼行列の開始です。

色鮮やかな「仏旗」がはためく中、吉塚市場、吉塚御堂へと歩みを進めますー

今回参加していただいた外国人は、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、ネパール、パキスタンの皆さん。

…今日のこの光景は、一生忘れないと思います。

二年前、私自身の『住職継職法要』でも、同じように吉塚市場内を「稚児行列」で歩きました。

当時なぜ吉塚市場内を歩いたかというとー

寂れていく商店街の中を、自分自身が” 客寄せパンダ ”となることで、懐かしい当時のような賑わいある光景を、再開発前の記憶として残しておきたい、、そんな思いでした。

・・・それがまさか二年後、こんなにも劇的に、ドラマチックに吉塚商店街が再生し、更にはお釈迦様までお迎えする事になるなんて、、、

…こんなこと誰が想像したでしょう。

今でもまだ夢の中のような、、どこか他人事で、不思議な感覚。。。

2019年に『こどもキャンドルナイト’19』で、『吉塚商店街・景観再生プロジェクト』と勝手に銘打ち(笑)、地域の子ども達や外国人留学生らと一緒に描いたウォールアート。その絵の前で、各国の人々が正装し、一緒にお参りをする、、。

…まさかこんな光景が2年後に訪れるなんて、、、

感無量とはまさにこのこと。

軍事クーデター最中のミャンマー人

今日参加してくれたミャンマー人達は、九州全土から150名近く集まったそう。

彼ら、彼女らはこの日、特別な思いで集まったそう。
母国では軍事クーデターへの抗議活動により治安部隊が発砲。彼ら彼女ら同世代の若者達が尊い命を失っている。福岡でも、毎週末ミャンマー人による抗議デモは行われていて、彼ら彼女らは毎日不安な日々を過ごしています。

そんな最中に今回の開眼法要を行うということで、「もしかしたら政治的、過激な発言で暴れたりすることもあるのでは?」と、警察や公安委員会の方が懸念されていました。

しかし、ミャンマー人達は、本当に素晴らしい仏教徒でした。

福岡のデモグループリーダーのCくんは、『母国を思うと胸が苦しくて眠れなくなるけれど、今日はミャンマーからお釈迦様が来られたのです。今日は私たちにとってお祝いの日。政治的なデモや追悼は行いません。私たちはお釈迦様がこられた事を心から歓びたい。』とー

…もしかすると、今回のプロジェクトは私たちが思っている以上に意義深く、お釈迦様を吉塚御堂にご安置したことは、彼らにとってとてつもない精神的な心の支えになっていくんだろうと思った。

『 開眼法要 』厳修。

am10:30、全員がお御堂に入堂され、焼香をしてご着席されたところで法要が始まりますー

今回は新型コロナウイルス感染防止対策として、我々僧侶、ご来賓、商店街関係者のみで法要を厳修。
外国人の皆さんは一旦お御堂の前で待機していただき、後ほどゆっくりお参りしてもらいます。

はじめに、ミャンマー僧による、開眼法要のおつとめ。
今回はミャンマー僧のパンディータ師より「日本のお坊さんと一緒にパーリ語でお参りしたい」とのご提案。

ミャンマー僧侶の皆さんから訳していただいた古代インドのパーリ語で、我々も「三帰依文」から一緒に声をだしてお参りさせてもらいました。

続いて、我々浄土真宗僧侶によるお参り。

雅楽を入れての三奉請、表白、重誓偈のおつとめ。

表白(ひょうびゃく)文

おつとめの合間に表白文。
ちなみに「表白(ひょうびゃく)」とは、今回はお釈迦さま、有縁の僧侶や皆さんの前でこの度の法要の趣旨や願意を知らせ、 ミャンマーよりお迎えしたお釈迦さまへの敬いの気持ちを表して、思いを申し告げることー

『 敬って 教主 釈迦牟尼仏の御前に 申し上げます

本日ここに 有縁各位 列席のもと
恭しく尊前を荘厳し、謹んで聖教を読誦して
『吉塚御堂 開眼法要』をお勤めいたします。

それ惟(おもん)みれば、
教主・釈迦牟尼如来は、
生老病死の四苦をあきらかにし、
諸行無常の真実を説き示されました

今日、世間には 未曾有の病が流行し、
平穏ならざる日々が続いております。

また、遠くミャンマーの地においては、
政情不安によって、多くの尊い命が失われております

まさに、人間の愚かさ、
諸行無常、老・病・死の現実の姿がここにあります

そのような中にあって、今ここに遠くミャンマーより、
吉塚市場にお釈迦様を お迎えしますこと、歓喜の思いであります

顧みれば、
吉塚市場は、昭和二十五年、博多の町の戦後復興に始まり、
最盛期には人の往来が困難なほど、活気ある市場として栄えました

しかしながら、
近年は、周辺地域の開発など、
時代の波には逆らえず、衰退の一途を辿ってまいりました

このたび、
有縁の人々の熱き想いと、有り難きご懇念に導かれて、
「吉塚市場リトルアジアマーケット」として 再生の機が熟し、
その中心として 吉塚御堂を建立し、
光り輝くお釈迦様を お迎えすることとなりました

この吉塚御堂は、「商店街再生の象徴」として、
吉塚の地に住む人々はもとより、故郷を離れ、
不安な中、日本で生活する外国人仏教徒においても、
大きな心の支えとなっていくことでありましょう

願わくは、
本日、ここに集える人々、
この法要を機縁として、ますます仏法にいそしみ
お釈迦様のお慈悲の中に、商店街の人々、
外国人居住者、地域の人々が手を取り合って、
共に歩みを進めていきますことをー

令和三年 三月十三日
浄土真宗本願寺派 西林寺住職 釋義修

謹んで、申し上げますー

この度の法要への思いを込めて、表白を読み上げさせていただきました。

ご来賓あいさつ

その後、吉塚市場組合長の河津さん、博多区および吉塚校区自治会長の笹山会長、外国人を代表してミャンマー僧のパンディータ師、最後に福岡市仏教会会長の浄福寺 佐々木成明住職によるご挨拶をいただいて、

無事に開眼法要を終えることができました。

開眼法要、終了後

今回の開眼法要に際し、新聞社さんをはじめテレビ各局も取材に来られていました。

吉塚御堂の外では、ミャンマー人による喜びの民族舞踊が行われていました。

その頃お御堂には、敬虔な外国人仏教徒の皆さんが続々とお参りに来られていました。

この後、午後一時から、ミャンマー人で集まっての祈りの時間もあったそうです。

彼らの真摯にお釈迦さまと向き合う姿勢、その背中を通して、今後我々日本人も多くの事を学ばせていただくと思いますー

 

その頃、ミャンマー料理屋さんではー

この日、元銭湯でミャンマー料理屋【チョウゼヤ】では、この日のお客さんは実に100名。(!)

『それはさぞ儲かったでしょう!よかったね!!!』と話すと、
『いえ、今日はお客様からは一切お金はもらっていません。』と(汗)、、。

今日の100名のランチは全て0円という、、。

『大変でしたが、ミャンマーではお祝いの時は当たり前!忙しいけど、みんな嬉しいんです。』と。。。

・・・後日、お店へ行った方から聞いたことですが、ミャンマー人達は皆【チョウゼヤ】さんに集まり、モヒンガー(ミャンマーを代表する麺料理)を食べながら、母国の唄を合唱しては涙汲んでいたのが感動的だったそうです。

母国の政治的混乱が現実にある中で、その気持ちをグッと押さえて、彼らは母国から来られたお釈迦様に、ただただ敬意と祈りを捧げたのでした。
某新聞社の方はそんな彼らの姿勢に眼頭を熱くしながら、『今日は取材以上に多くのことを学びましたよ。ミャンマー人の仏教徒としての姿勢にも感銘を受けた。今日は本当によかった。本当に良い法要でした。』と。

…そんな有難い言葉をいただき、今はただただ無事に法要を終えたことにホッとしています。

しかしながら、本当に大事なことはこれから。

これからも自分にできる範囲で、継続して、このプロジェクトに関わっていきたいと思います。