2021年4月8日(木)は、お釈迦さまのお誕生の日でした。
仏教ではお釈迦さまのお誕生の日を『 灌仏会(かんぶつえ)』や『 はなまつり 』といい、
4月8日の前後には各地のお寺で、大なり小なり、お釈迦さまの誕生のお祝いをしますー
今年も「花御堂」をつくって、お釈迦樣のお誕生をお祝いさせてもらいました。
お釈迦さまのお誕生のはなし
今から2600年前、お釈迦さまはインド北部、現ネパール・ルンビニーという地、カピラヴァストゥ(カピラ城)の釈迦族の王子としてお生まれになりました。
お釈迦さまの母親であるマーヤ夫人は、出産のため里帰りの途中、立ち寄られたルンビニ園の庭で無憂樹の花を手で折ろうとしたところ、右脇の下からお釈迦さまがお生まれになったと伝えられていますー
「右脇」は、武力の象徴であり、「大切なものを抱える」ところ。インドでは昔から王族などの高貴な方々は、「右腕や右脇から生まれた」と表現されることが多かったようです。
お釈迦さまがお生まれになられた時の事を、現在でも様々な歓びと伝説でもって今に伝えられていますー
お釈迦さまは生まれてすぐに東西南北の四方に七歩ずつ歩まれて、右手を天に、左手は地を指し、
『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)』
『天上天下広しといえども、どれ一つとして無駄ないのちなどない、いのちは皆それぞれに、等しく尊いものであるー』と仰られたのです。
・・・その時、九匹の龍が現れ、甘い香りの雨が降り注ぎ、お釈迦さまの体を洗ったー
そんな伝承に由来して、現在でも『はなまつり』に、『甘茶をかける』、『甘茶をいただく』という習慣が生まれましたー
朝10時、西林寺にてお参り。
今年のお釈迦さまのお誕生日は、珍しいお客様がいらっしゃいました。
『私たちも一緒にお参りしたい』と、わざわざ門司の【世界平和パゴタ】より、ミャンマー僧のおふたりがおみえになりました。
日本式(西林寺式)の形でお参りさせてもらいました。敬礼文、三帰依文、讃仏偈のおつとめ。
おつとめ終了後、そのままミャンマーのお坊さん方とご一緒に、吉塚御堂へ。
朝10時半、吉塚御堂にてお参り。
今年から吉塚御堂でもお参りさせていただきますー
いつのまにか、通りかかられた方もご一緒に。とても有り難かったです。
皆さん、ありがとうございました。
午後2時より、福岡市仏教会主催『灌仏会』
吉塚御堂での花まつりのお勤めを終えると、急いで寺へ戻り、車にのりかえて中央区大濠の福岡教堂へ。
今日は、福岡市仏教会主催の『灌仏会(お釈迦さまお誕生の法要)』を福岡教堂より無参詣オンライン配信にて。
当日の法要からご法話まで、この日の模様はこちらをご覧ください。
※ 機材のトラブルで前半部分音が聞こえません、後半19分50秒以降は音が出ますので、後半からご視聴ください。
灌仏会
ご導師は、福岡市仏教会会長、浄福寺ご住職の佐々木成明 師。
私は雅楽の雅人としてお参りさせてもらいました。
記念法話
「灌仏会記念法話」は、糸島市 海徳寺前住職 松月博宣師
『お釈迦さまのお誕生日は、「お祝い」というより「お礼」です。』と松月先生。
『ようこそ、お生まれ下さいました。もし貴方が2600年前に、この人間境界にお出ましくださらなければ、この私の人生、虚しく終わるところでした。
貴方様のおかげで、私はお念仏のみ教えに出遭うことができました。そして、「浄土に生まれ、仏にならせていただくいのちを生きる」という意味ある人生をいただくことが来ました。
そして「死」は決して終わりじゃないぞ、お浄土に生まれさせてもらい、お悟りをひらかせてもらうご縁なんだと。
生きることも、死ぬことも、意味があるということを、貴方様のお出ましによって、知ることができました。ありがとうございました』とー
松月先生の、とても心に残るありがたいご法話でした。
こうして、『はなまつり』の充実した、長い一日を終えたのでした。