2022年7月12日(火)、今日は西林寺にある豊田徳作翁の御命日法要でした。
毎年地域の水利組合が主催となって法要が務まっています。
豊田徳作翁は、福岡県那珂川町から博多へ、水害と水利に乏しかった当地方の水田のために、私財を投じ、藩の重圧にも負けず番托井堰(ばんたくいぜき)の大工事を成し遂げた方でした。
豊田徳作とはー
江戸時代、1768年頃のお話です。当時の井堰(いぜき)は、丸太で作ったものがほとんどで、大雨が降るたびに流され、まわりの農家の人たちは困っていました。これを見た豊田徳作翁は55歳の時、私財を投げ打って「石」で井堰を作る土木工事を計画しました。
・・・しかし当時は、農民が土木工事をすることは禁止されていました。そこで徳作翁は、なんとか石材で堰を作りたいと何度もお役人に嘆願をしましたが、結局、許可は下りませんでした。
それでも諦めず何度も嘆願をする徳作翁は、ついに牢屋に捕らえられてしまいます。牢屋は「水牢」だったそうです。
「水牢」とは、当時の年貢滞納者などに、おおむね腰の高さほどの水に浸かって牢屋へ閉じ込める拷問でした。この「水牢」は、座ったり、横になって休むことができず、眠ることも許されない状況下に置かれ、たちまち皮膚がふやけて破れてしまいます、、
そんな水牢に入れらた徳作翁でしたが、それを聞いた当時の黒田家六代藩主、黒田継高(つぐたか)がこの水牢から釈放させ、井堰築造の許可も下されました。
その後、ご苦労の末に完成した番托井堰(ばんたくいぜき)は、那珂川町から博多の街の田畑を今に潤してきたのですー
豊田徳作翁は、農民達のために命懸けで行ったその功績が認められ、明治13年に石碑が建てられました。そして豊田徳作翁のお墓はこの西林寺の境内にあります。
西林寺では、毎年7月12日の「さなぼり」(田植えの無事終了を感謝する行事)に水利組合の方々が当寺へ集まり、豊田徳作翁の遺徳を偲び、功績を讃えてお参りをします。
今年も水利組合の皆さん方と共に、豊田徳作翁の御命日にお参りさせていただきました。