2022年8月13日(土)、今年もお盆がやってきました。
西林寺では、10〜12日はご希望されるご門徒宅へお盆参りを中心に。
13〜15日は、住職は初盆を中心に、法務員は西林寺近郊のご門徒宅へお盆参りへ伺っています。
今年も毎年お盆参りへ伺っているお宅へは、事前にお葉書で「コロナ禍を懸念される方で、お盆参りが不要の方は遠慮なく事前にご連絡ください」とお出しすると、この1ヶ月間で140件以上のご門徒方からご連絡をいただきました。
その後も、昨日までに連日、発熱・濃厚接触者になられての盆参り、初盆参りの中止が相次ぎ、このコロナ禍の3年間で一番難しいお盆を迎えています。お盆参りに伺う私共も、まさに「明日は我が身」。一日一日、ご門徒宅へ『歓喜会』(かんぎえ)をつとめさせていただく有り難さを噛み締めてお参りさせてもらっています。
お盆の意味とは ー
さて、そのような中迎えたお盆ですが、このお盆、正式名は『盂蘭盆会』と言います。浄土真宗では『歓喜会』(かんぎえ)ともいいます。
「お盆」という言葉の本来は、インドのサンスクリット語「ullambana/ウランバーナ」という言葉が中国で音訳され、そこに漢字を当てて「盂蘭盆(うらぼん)」となりました。それを簡略し「お盆」というようになりました。
『ウランバーナ』と何か?
では、「お盆」の語源であるインド・サンスクリット語の「ullambana/ウランバーナ」とは一体どういう意味なんでしょう?・・・実は、直訳すると私たちが思う『お盆』とはかけ離れた意味になります。
「ウランバーナ」= 直訳すると倒懸(とうけん)=『 逆さ吊りの苦しみ 』。
…なんとも恐ろしい意味に、、。
つまり、元々「お盆」は、
『倒懸(逆さ吊りの苦しみ)から救われることを説いた仏教の教え』、ということになります。
では、そもそも「お盆」はどういう意味なのか?
それは『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』という
お経典に出てくる仏弟子 目連尊者の故事に由来しますー
『盂蘭盆経』:目連尊者の故事とは?
『盂蘭盆経』には、お釈迦さまのお弟子のひとり目連尊者が、
母を餓鬼道の苦しみから救い出すという話が説かれていますー
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お釈迦さまがいらっしゃった頃のお話です。
お釈迦さまのお弟子のひとりに目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がおられました。
神通力第一といわれた目連尊者は、亡き母親の事が心配になり、神通力で確認したところ、
お浄土へ還っておられると思っていた母親は、あろうことか、餓鬼道に落ちていたことを知りますー
母親は飲食することができず、身体は骨と皮ばかりになっています。
これを悲しんだ目連尊者は、得意の神通力でご馳走を差し出すのですが、
それを口につけた瞬間、ご馳走はたちまち炭となり、ますます母親を苦しめてしまいます、、。
嘆き悲しんだ目連尊者は、お釈迦さまのもとへ行き、一部始終を話して救いを求めました。
すると、「安居(あんご・僧侶の勉強期間)が終わり、
僧侶が僧院から出てこられる7月15日(旧暦)、お荘厳を整えて、
全ての僧にご馳走を振る舞い、共々にお参りしなさい」と、
お釈迦さまの教示に従って行ったところ、母親は救われた、というお話しですー
このような故事を由来として、
「親や先祖を思う気持ち」と「仏法を敬う心の大切さ」が、
お盆の行事を通して伝えられるようになりました。
我々真宗門徒は、先だって逝かれた方を偲びながら、この「私自身」が、仏法に耳を傾けていく、出遭っていくことが大切です。
私たちが手を合わせる「阿弥陀如来」という仏様は、お盆の3日間しか帰ってこない仏様ではありません。
何時でもどこでも、どんな時でも、私たちを照らし、導き、育てて下さる、そんな仏様です
浄土真宗における盆会は、亡き人を偲びつつ、お法り(おみのり)を聞くご縁としましょう。
また、お盆にはお墓やご家庭の仏壇だけでなく、お寺の本堂にもお上りいただき、阿弥陀さまにご挨拶しましょう。
ご家族で仏縁に触れる、大事なご縁にしたいですね。