8月の伝道掲示板。
『 人生離別無くんば、誰か恩愛の重きを知らん 』中国の詩人の蘇東坡の言葉。
『 もし人生に別れがなければ、恩愛の重さを知ることもないだろう。』
大切な家族や友人、お世話になった先生、、大切な人との別れは本当に辛いものです。
お釈迦さまの説かれた教えに「四苦八苦」があります。その中に、愛するものと別れる苦しみ「愛別離苦(あいべつりく)」があります。
愛するものと別れる苦しみは、さまざまな苦しみの中でも特にきびしいものです。
しかしながら、そんなつらい別れを通して、その方のお心に触れた時、はじめて思いやりや愛情の深さに気づかされることがあります。
その方の思いやりや愛情は、今度は私の心の中で「支え」となって生き続けます。故人から学ばされると共に、故人を通して仏法に出会う機会も与えられます。
そんな時仏法を味わっていくと『倶会一処』というお言葉に救われることがあります。
『倶会一処』は仏説阿弥陀経の中に出てくる言葉です。
そこには、
「 舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。
ゆえはいかん。かくのごとき諸上善人と倶に一処に会することを得ればなり 」
とあり、お釈迦様が舎利弗に、「 素晴らしいお浄土の様子を聞いて、浄土へ生まれたいと願いなさい。
その理由は、浄土で勝れた菩薩方と会うことができるからです」と語り掛けています。
この「倶会一処」を、『お念仏申す者は、浄土にて必ずまた会うことができる』と味あわせていただきます。
大切な方を失う悲しみの中で、これほど頼もしく有難い言葉はありません。
「死んで別れていくだけじゃない。再び会える世界がある」と釈尊さまはお説きくださっています。
この御教えに私自身が励まされた時、大切な人との別れが単なる別れではなくなっていきます。
そして「また会える世界がある」と思えるからこそ、亡き方との別れを通して、私自身が仏法を聞かせていただくご縁を頂いていけます。
大切な人との別れは辛いものですが、その現実から目を背けるのではなく、正面からいのちと向き合った時、この別れが単に別れではない、大切なことを故人から教わります。
『またいずれお浄土で会いましょうね』と思えるからこそ、また一歩を歩んでいけるのではないでしょうか。
8月のお盆を前に、今回はこの上記の言葉を掲げさせてもらいました。