今年も秋のお彼岸の時期がやってきました。
「お彼岸」とは、春と秋の年に2回。
3月「春分の日」、9月「秋分の日」を“お中日”として、前後3日間を含む一週間がお彼岸です。
お彼岸のこの時期は、太陽が真東から上がり、真西に沈んでゆきます。
季節も落ち着くこの時期(今年は暑すぎますが・汗)、浄土真宗においては、此岸(この岸)から、彼岸(向こう岸)=『阿弥陀さまのお浄土』を想い、お浄土へ往かれた方々に想いを馳せながら、仏さまの教えに耳を傾ける季節。心
穏やかに過ごす仏教週間まさに。仏教キャンペーンの一週間です。
この時期の夕日をまじまじとご覧になったことはありますか?
真っ赤に沈む太陽、、泣きたくなるような美しい夕日。。。一年で一番大好きな夕暮れです。
もうすでにお浄土へ往かれた方々も、きっと同じ想いでこの夕日を見ていたのだろうなぁ、、と思うと、思わずお念仏が私の口から溢れてきます。
宗祖 親鸞聖人が尊敬された中国の僧、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)がご著書でこのような言葉を記しています。
『 日の出づる処を生と名づけ、没する処を死と名づく 』(安楽集)
古来から人は、朝日が昇る東に『いのちの始まり』を感じ、夕日が沈む西に『いのちの終わり』を感じてきたのでしょう。
そういえば今年の8月末、昨年のCNLの収益と浄財を持って、カンボジアへ届けに行ってきました。
その際、5年ぶりにアンコールワットの朝日を見てきました。朝4時半に起床し、真っ暗闇の中アンコールワットへ向かいます。すると朝焼けに始まり、ゆっくりと時間を掛けてアンコールワットの真後ろから太陽が昇ってくるのです。ちょうど今の時期、秋分の日/春分の日にはアンコールワットの真正面から太陽が昇るよう計算された寺院(昔の人はすごいですね!)になっていますから、この時期は世界中から旅行者が押し寄せるといいます。
…私が行った8月下旬はアンコールワットの中心から少し外れていましたが、それでもアンコールワットでの朝日を眺める体験は壮大で感動的で、、何度行っても特別な体験です。
まだ薄暗い朝5時から太陽が昇りきる迄の二時間、遺跡にもたれ掛かりながら、ただひたすらボーッと空を眺める贅沢な二時間です。
日本ではなかなかできない時間の使い方。(笑)
二時間ものあいだ朝日を眺めていると、だんだんと生の息吹を感じ、生きている事、生かされている事を実感し、希望が湧いてきました。
夕日を眺めている時、私はどちらかというと「回想」することが多く、朝日は「展望」する気持ちが強かったことに気づきました。
きっと私にも先人から受け継がれたDNAに、朝日=『始まり』、夕日=『終わり』を感じる事が組み込まれているのでしょう。
道綽禅師を師と仰がれた 善導大師の『 観経疏(かんぎょうしょ) 』には、1年の中でも特に春分と秋分は、太陽が真東から真西へ向かうことから、阿弥陀さまの西方浄土を思う最も適した仏道修行の時節であると示されています。
お彼岸は、お浄土を想い、大切な方々を想う一週間。その中で阿弥陀様の摂取不捨(摂め取って捨てない)のおはたらきをよろこび、やがていつか私たちも往かせていただくお浄土で「また会いましょうね(倶会一処)」の世界があることを再確認させていただく、そんな一週間といただいています。
お彼岸通して、生かされている事に感謝する一週間にしたいですね。