日記帳

日記帳

除夜の鐘。

“「除夜の鐘」、苦情の嵐で中止相次ぐ ”

最近、テレビを観ていたら、こんなニュースを何度か観ました。

IMG_9352

理由は、近隣の方から『うるさい』という苦情の声を受け、
『除夜の鐘』を自粛するお寺さんが増えているのだそうです。

テレビでは、実際に鐘の音を数値で計測したところ、117デジベル。
…これは車の騒音レベルに匹敵するそうです。
(『鐘の音』と『車の騒音』を同列に並べること自体どうなんでしょ…苦笑)

こういったクレームを受け、静岡県のあるお寺さんでは「除夜の鐘」をやめ、
『除夕(じょせき)の鐘』として明るい内に鐘を撞(つ)いていらっしゃるそうです。

これは、毎日の朝夕のお寺の鐘の音も同じです。

西林寺では有り難いことに、今も変わらず毎朝6時に鐘を撞かせていただいてますが、
福岡市内ではこういった朝の鐘の音自体も、だんだん難しくなってきています。

 

変わりつつ、ある日本の伝統行事

 

今、このようなお寺の鐘の音に限らず、
日本の伝統行事が一部の苦情によって姿を消しつつあるという現状があります。

8K6A5691

年末恒例の『餅つき』も一部地域では、
「集団食中毒の危険がある」ということで、イベントを禁じるところが増えているそうです。

夏の『盆踊り』も、「音がうるさい」ということで、
ある地域ではラジオの電波にのせ、イヤホンで音楽を聴きながら静かに踊るという、、
『サイレント盆踊り』。…なんともシュールです。

『豆まき』も「子どもの目に入ったら危ない」ということで中止。
秋田県の『なまはげ』も「子ども達が怖がる」ということで中止、、。

一部の過剰なご意見によって、
何百年と続いてきた日本の伝統行事の数々が中止に追い込まれています。

このようなことになった背景には、SNSなどの普及によって、
少数派の意見が拡散されやすくなり、一部の声が通りやすくなったこと、
またそのご意見を受け入れられやすい世の中になった事があると、
専門家の方がテレビで仰っていました。

 

そもそも『 除夜の鐘 』とは …?

 

話しは元に戻りますが、そもそも『除夜の鐘』とは一体どういうものなんでしょう?

8K6A5985

『除夜』とは、『古い1年を除いて新しい年を迎える夜』という意味で、大晦日の夜のこと。
お寺の鐘は正式には「梵鐘(ぼんしょう)」といいますが、
梵鐘の鐘の音は、仏さまの清らかな声とそのみ教えといただきます。

除夜の鐘をつき、その音を聞く事によって、この一年に自らつくった罪の深さを自覚し、
煩悩を振り捨てて、報恩感謝の穏やかな心になって新しい一年を迎えるー

除夜の鐘は、そのような意味合いで鐘をつき、音を聞きます。

 

では『 108の煩悩 』とは …?

 

除夜の鐘を撞く時、『108の煩悩』と言われますが、なぜ『108』なのでしょう?

8K6A6000

これには諸説ありますが、面白いのは『語呂合わせ』です。
お釈迦さまは『人生はなり』と言われ、その苦を『四苦八苦』とお説きになりました。

基本的な四苦(生・老・病・死)、
さらに社会的な4つの苦(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)を合わせて八苦

これを全部合わせて『四苦八苦』といいますが、
これを語呂合わせで、

四×苦+八×苦
4×9+8×9=108からきているという説。

もうひとつには、108回ならす習慣は中国に始まるもので、
12ヶ月+24節気+72候=108というもの。

またあるいは、仏教用語に『六入六根』という言葉があり、

眼(げん)・耳(に)・鼻(に)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六根 、
× 好(気持ちがいい)・悪(いやだ)・平(何も感じない)の三種、
× 浄(きれい)・染(きたない)の二種
× 現在・過去・未来の三種を合わせ、

6×3×2×3=108

これらが『108』の煩悩の諸説と言われています。

・・・つまり簡単に言うと、
それだけ煩悩が『大変多い』という意味で、実は数字自体にこだわる必要はないのです。

ですので浄土真宗では108にこだわることなく、鐘を撞くことが多いのです。
西林寺では、毎年来られた方全員に鐘を撞いていただいてます。

 

『 煩悩具足の凡夫 』

 

親鸞聖人は、私たちはすべて『煩悩具足の凡夫』と言われました。

具足』とは、「煩悩の塊」という意。私たちは煩悩の塊ということ。
凡夫』とは、そんな私たち人間のことです。

『煩悩』には、特に私たちを煩わせ悩ませるものが3つありまして、
これを『三毒の煩悩』といいます。

三毒とは、貪欲(とんよく) 瞋恚(しんに) 愚痴(ぐち)で、
「欲の心」や、「怒りの心」、「うらみや妬みの心」です。

私たちは、そんな『煩悩の塊』でできていて、
頭の先から足のつま先まで煩悩だらけの人間です。

そんな『数多くの煩悩を抱えている私』と自覚しながら、新しい気持ちを胸に新年を迎えるー

これが『除夜の鐘』を「撞く」、あるい「聞く」意義なのです。

 

西林寺『 除夜の鐘 』…

 

そんな意義の中で、何百年と続いてきた西林寺の『除夜の鐘』です。

西林寺では毎年、小さなお子さん〜ご年配の方まで、
お友達同士、あるいはカップル、ご家族三世代で等々、、、、

毎年多くの方が楽しみにお寺へ来られています。

『除夜の鐘』自体に賛否の声があることも承知ですが、

私は、時代の変化、ライフスタイルの急激な変化の中で、
常々『変える勇気』と『変えない勇気』が必要だと思っています。

変える勇気』とは、
受け継がれてきた「歴史」と「伝統」を重んじながらも、
時代の流れを読みつつ、新しいことに挑戦する勇気。
そして” 良い意味で ” 変えていく勇気。

逆に『変えない勇気』とは、
ただ闇雲に時代にフィットさせるのではなく、
基本や根幹となる部分はしっかりと。ブレない姿勢。

この信念を通して思うことは、『除夜の鐘』をやめるというのは、
「歴史」と「伝統」に敬意を払いつつ、新しいことに挑戦することではない、と。
やめるのであれば、単にやめるのではなく、形を変えることも必要ではないかと思うのです。

もちろん、お寺さんにはそれぞれのご事情があります。
お寺の周りに沢山のマンション・住宅が建ち並んできますと、
苦情の声に耳を傾けなければならいないこともあります。
これは決して、他のお寺さんを否定するものではありません。

あくまで西林寺に限ってのことですが、安易に時代にフィットさせるのではなく、
毎年楽しみにご家族でお寺に来られる方々を、これからも大切にしたいと思っています。

ごく少数の意見に惑わされる世の中だからこそ、
強い信念とブレない姿勢をもって、
お寺の伝統行事を次世代へつなげていきたいと考えています。

・・・簡単に言いますと、

今年も除夜の鐘、行います!やめません。ということです。(笑)

 

今年も行います! 西林寺 修生会/元旦会(除夜の鐘)

 

2016年12月31日(土)pm11:50頃より、
『 西林寺 除夜会/元旦会 』を行います。

当日はおぜんざいもご準備しておりますので、
防寒対策をされてどうぞ、どうぞ、お参り下さい。

IMG_9370

今年も大晦日、お待ちしています。