『人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くがごとし』(徳川 家康)
今年に入って、ご本山での研修会講師準備や、個人的な剣道昇段審査の稽古など、
毎日があっという間に過ぎ去った日々がようやく落ち着き、ここでお彼岸まで一段落、、。
・・・と思っていたのも束の間。
現在住職所用のため(苦笑)、不在中の中、連日お葬儀が続いています。
連続5日間で6件の葬儀が続いた後、この不在中に11件目の葬儀を控えています。
現在、ほぼ毎日お通夜、葬儀、初七日、お通夜、葬儀、初七日・・を繰り返し。
その間にはもちろん通常の法務・ご法事や会議もあり、、
先週末の法務では珍しく声が枯れてしまいました。
それが今でも尾を引きずっていまして、、、
お通夜・葬儀では高い声が出ず、大きな声を出せば声が割れてしまう、、
ご門徒さまにはさぞ聴き苦しいおつとめではなかったかと、、
とても悔しく、申し訳ない気持ちいっぱいです。
『おつとめは、大きな声を出せば良いというものではない。』
とは、私の先生から良く言われたものですが、私にとってひとつひとつのご縁はまさに『一期一会』。
これが今生最後のご縁と思い、精一杯おつとめ、お取り次ぎをさせていただくー
・・・お経の上手い下手ではなく、精一杯の気持ち、力の出し惜しみをせず、
声高らかにおつとめさせていただくこと、、これが自分にできる唯一の事だと。
しかしそれがここまで声が出ないと、、、
本当に申し訳ないやら、情けないやらで、、不甲斐ない気持ちでいっぱいになってしまいます。
そんな中、今日、あるご門徒の方がお寺に私を訪ねて来られました。
先日葬儀を務めさせていただいた、新たにお寺のご門徒になられた方でした。
手元を見ると、ビニールケースに入ったむき出しのお金、、。
目には涙をためて、
『先日は本当にありがとうございました。
あれだけ立派なおつとめをしていただいたのに、お布施があれだけしかできなくて、、
それで今日、親戚からいただいたご香典をかきを集めて、
今月分の生活保護のお金と合わせて持ってきました。
このお金を受け取って欲しい。・・・そして四十九日までお参りして欲しい、、』と。
・・・。(汗)
お婆ちゃんの唐突であまりの勢いに、一瞬言葉が出てきません、、
『・・・ありがとうございます(汗)。でもそれは受け取れません。
先日お布施はちゃんとお預かりしました。できる形でなさっていただけたら、それで充分です。
私は私にできることを行ったまでなので、そのお気持ちだけでもう充分です。
四十九日はもちろんお参りさせていただきます。・・・でもこのお金は受け取れない、』と、、。
するとおばあちゃん、
『受け取ってもらわないと私の気持ちがおさまらない!
私は申し訳なくて、申し訳なくて…あれからずっと眠れないんです!』
『あ、ありがとうございます。気持ちは重々、有り難くいただきました。でもそれは…』(苦笑)
『いやいや!』・・・と押し問答が続き、、
『・・・じゃわかりました。来月の四十九日分のお布施として、このお金はお寺でお預かりしておきます。
でも、全部はお預かりできない。おばあちゃんも生活が大変な中で葬儀を出された事でしょうし、
必ずどこかでこのお金は必要になることがきっとあるでしょうから。
本当に締まって下さい、、私はそのお気持ちだけで、もう胸が一杯です』と、、。
お婆ちゃんは涙を流しながら、
『ありがとうございます、ありがとうございます、、』と仰って帰って行かれた。
私もその気持ちが本当に有り難くて、、涙がこぼれてしまいました。
お婆ちゃん:『再来月のお寺での永代経法要に来たいので案内を送って欲しい…』とのこと。
『・・・モチロンです!またぜひお寺にお参りに来られて下さいネ。』と。
「一期一会のご縁の中で、自分ができることを精一杯行う。」
絶対に忘れてはいけないことだと思いましたし、
今、生活の事情から、お葬儀をしたくてもできない方々が沢山いらっしゃる、、
その現実とこれからどう向き合っていくのか、一僧侶として、とても考えさせられるご縁でした。